優雅さと格調
 
白い衣裳を身にまとい、白い花を飾った三つ編みをつけ スワミー講堂に現れた踊り手は、優雅さと格調を備えたひとつの模範を示した。彼女の踊りは、それが本物であること、鍛練を積み、伝統に献身してきたことを物語っていた。日本の大阪から迎えた福田麻紀は、何と稀に見る踊り手であろうか。バラタナティヤムを心から愛することで、距離や文化や言語という壁を乗り越えられることを、彼女の威厳ある踊りは証明していた。彼女は C. V. チャンドラシェーカー師にこれまで20年間師事し、大阪の自らの舞踊教室であるアムリッタ・ダンス・カンパニーでバラタナィヤムを教えている。
 
麻紀は、君主ラーマへの敬愛のテーマで舞台を始め、続けてアラリップを踊った。
詩人トゥルシダーサの詩に続き、カンダ(5拍子)のアラリップがあり、公演に引き締まった調子を与えた。続いての演目 「ガイエ・ガナパティ」 は、スワラ(音階)の ソルカットゥ(音楽の中で歌詞ではない言葉)での、マキの確固たるアダブとステップは、振付に完全に忠実なものであった。
 
公演のハイライト、ヴァルナムは、ラーガ、ナヴァラガマリカの 「ヴァラチ・ヴァチ」で、
これは慎重な選択だった。ティルマーナム(リズム舞踊)は、踊り手の完全なるアダブの型と細やかな描写によって、この演目は公演のハイライトとなった。
 
チャンドラシェーカー教授による響き豊かな ティルマーナムの表現に、麻紀は力強くも制御されたヌリッタ(リズム舞踊)によって追従した。テイハテイヒアダブ(かかとを持ち上げては落とすステップ)は、踵を完全に上げ、完璧であった。この踊り手のヌリッタが揺るぎない水準にあることを強調したのは、メインゲストであった アディアール・ラクシュマンで、 次のように述べた:「完璧なアラマンディ(腰を深く落とした基本ポジション)は、チャンドラシェーカー師の生徒たちの特質です!彼女たちのヌリッタは妥協なく完璧です。」
 
この踊り手の能力はまた、的確な感情表現においても証明されていた。「私が思い慕っているあなた(神ベンカテーシャ)は、なぜこんなにつれない態度を取るのでしょうか?」という思いが、献身と苦悶と共に表現されていた。ヴァルナムでのアビナヤ(感情表現)の流れは滑らかで、ラーマがシータと結婚する場面は特に言及に値し、輝きを増していた。チャンドラシェーカー教授による美しい旋律の歌は、ヴァルナムに輝かしい調子を授けており、そのラーガはシャンカラバラナム、カンボーディ、モハナム であった。
 
ただ意外にも、次の演目 詩人ジャヤデヴァのアシュタパディは十分とは言えなかった。振り付
けはしっかりと把握していたものの、麻紀ならば、単なる微笑みだけの描写ではなく、「ハリリハ」の ラスリーラ(円になって踊る)の場面に備わっているシュリンガラ(恋情)をもっと伝えられたのではないだろうか。
 
タミル語の ラーガマリカの歌である「ニー・ウレイパイ」は、完全な共感をもって演じられていた。麻紀は、ラーマがハヌーマンを使者として送ったという場面を打ち出すことができた。
 
パラス・ティラーナは、カラクシェトラ(ルクミニ・デヴィによって創立された舞踊を中心にした芸術の総合学校) の古典演目であるが、縮小のないバージョンで演じられた。多くの メイアダヴ(体を揺らす動き)が趣をもって演じられていたのを見て、非常に清々しかった。
 
チャンドラシェーカー師の素晴らしい歌とナトゥワンガム(小さなシンバルとソルカットゥで楽団を指揮する)を十分にサポートしていたのが、ムリダンガム(南インドの古典打楽器)のアディアール・バルー、フルートのムトゥクマール 、バイオリンのパドマナーバン であった。また、司会のジャナキの熟達した式辞は、この踊りの背後に存在する特別な儀式を浮かび上がらせていた。それは、最近他界した踊り手であるラジェッシュへの追悼であり、父であるアディアール・バルーが企画したものであった。
 

                                                             

                                  訳:谷口一美